(1)ハノイの旅にあたって
ベトナムに行くにあたっては、ハノイかホーチミンか迷ったけど、ツイッターを見ていたら、関西空港に新規就航したベトジェットがキャンペーンで運賃5,000円のセールをやっているのを見つけたのであまり深く考えずにチケットを予約した。
(2)街の様子
1)全般
街の中では、お金持ちそうな人が少なかった。一方でホームレスみたいな人もいない。かなり格差が小さい社会かもしれない。
2)高級マンション
一方で高級マンションも増えていた。一つ高級マンションに行ったが、そこの1階にあった高級スーパーマーケットの価格は欧米・日本・韓国ブランドの商品は日本とほぼ同じ価格だった
3)コンビニ
サークルKがあった。飲み物やパンなど日本なら800~900円ぐらいのもの5点を買った。値段は132,000ドン(616円)だった。コンビニのものは、そこそこの値段であった。
(3)交通
1)ベトジェット
運賃は5,000円だったがいろんな費用がかかって支払い額は14,470円だった。運賃より諸経費の方が高かった。
〔#227〕運賃5000円のベトジェットに乗ってみた(大阪→ベトナム・ハノイ) - MAIGOの旅行記
2)空港
首都の空港なのに小さな空港であった。伊丹空港より少し大きいぐらいの規模感でした。
【両替&散策】ベトナムのハノイ・ノイバイ空港(ベトナム)のターミナル(国際線&国内線)〔#228〕 - MAIGOの旅行記
3)バイク
道路はバイクであふれかえっていた。街の歩道がバイクの駐車場になっていて、どこに行くにもバイクで移動していた。
4)自動車
車は日本と韓国の車ばかりであった。ベンツとかBMWみたいな高級車は少なかった。
5)鉄道
ハノイでは鉄道には乗らなかった。2019年中に地下鉄が開業するとのことだったが、行った時にはまだ開業していなかった。地下鉄ができると街の雰囲気も一変するだろう。
6)ライドシェア
グラブが使えた。
市街で20分ぐらい乗車して25,000ドン(112円)、帰りに空港まで35分乗車して248,000ドン(約1,200円)だった。
7)路線バス
〇空港からの86番バス
とても便利だが、国際線から乗ると座ることは難しい。
【86番バス乗車】ベトナムのハノイ・ノイバイ空港から市街地へ格安移動(国内線ターミナル→ハノイ駅)〔#229〕 - MAIGOの旅行記
〇路線バス
すごく乗り心地が悪い。なのにwifiは完備されていた。
【ハノイの路線バス】運賃は33円!〔#235〕 - MAIGOの旅行記
8)空港ラウンジ
めちゃくちゃ混んでいた。
日本各地へ行く便が何本が飛ぶ時間帯なので多分半分くらい日本人だった。
トイレにはシャワールームが併設されていた。
(4)行ったところ
1)ハノイ駅前のカフェ
意識高い系の人がたくさんいた。値段は日本より少し安いぐらいだった。
【カフェで休憩】ハノイ駅前〔#230〕 - MAIGOの旅行記
2)ハノイ警察博物館
無料なのにとても充実した展示だった。
戦争中は警察と軍隊の役割分担も変わることを知った。
【展示が充実】ハノイ警察博物館〔#231〕 - MAIGOの旅行記
3)ホアロー収容所
欧米系の観光客の人が多かったが、青ざめた顔をした人がたくさんいた。
アジアの歴史は、ほとんど知らないのだろう。
【東南アジアで最も怖い観光スポット】ホアロー収容所〔#232〕 - MAIGOの旅行記
4)街あるき&ホテル
新しくてキレイなところと昔ながらの旧市街とで大きく雰囲気が違っていた
【ハノイの街歩き】ホテルチェックイン〔#233〕 - MAIGOの旅行記
5)ナイトマーケット
すごく活気があった。地元民の人がとても楽しそうだったのが印象的であった。
6)ロンビエン市場
ここは全くの昔ながらの卸売り市場だった。
道路を横断するのは命がけだった。
【道路を横断するのも命がけ】ロンビエン市場〔#234〕 - MAIGOの旅行記
7)ホーチミン廟
沢山の人が見学に来ていた。
8)ホーチミン博物館
来ていたのはベトナム人ばかりで、あまり外国人観光客はいなかった。
ホーチミンは地元の人にかなり敬意を持たれているようだった。
9)B52戦勝館
ベトナム戦争で撃墜したB52の残骸が展示されていた。
建物の中はジオラマもあり丁寧に説明されていた。
戦勝国の誇りのようなものを感じる博物館であった。
10)ベトナム民族学博物館
ベトナムの文化・生活の歴史の説明が展示されていた。
道具や衣装はマネキンで展示されていたので、どのように使われていたか、とても分かりやすい展示であった。
11)ベトナム軍事歴史博物館
ベトナム戦争で使われた兵器などが展示されていた。
戦争に関わる博物館は、敗戦国は戦争の悲惨さを強調するのが多いけど、戦勝国のベトナムでは如何に自国が勇敢に戦ったのかを展示してあった。
12)イオンモール
日本のイオンモールと全く同じ雰囲気だった。
物価はこんな感じだった。
コカコーラ 390ml 8300ドン/39円
ペプシコーラ390ml 5500ドン/26円
ファンタ 390ml 5500ドン/26円
地元ビール 11000ドン /52円
ハイネケン 18000ドン/84円
13)ベトナム女性博物館
モニターで女性の働く姿を紹介。農村の女性は都会に出て子供たちの為に働く。ベトナム戦争のときはトンネルや塹壕を掘ったり、後方支援で女性も戦っていた。
14)ベトナム国立歴史博物館
ベトナムの歴史を紹介していた。ホーチミンは言葉だけで人を動かしていたそうだ。言葉の大切さを実感。
15)スタバ
グリーン&ホワイトティーを頼んだ。55,000ドン(255円)パソコンで作業している人はいた。高校生ぐらいの5人組(女子3人、男子3人)がタブレットで一緒にゲームをして盛りあがっていた。他には家族連れ、おじさん&おばさんの5人組、自撮りしあっている女子3人、カップルできている人など。みんなお喋りが大好きなようだ。日本のスタバみたいに休憩で来ている人はいなかった。
16)旧市街散策
旧市街は個人商店が多かった。多くは1階が店舗で2階が住居のようであった。だから道路に面しているところの多くは商店が延々と続いていた。
17)マッサージ
比較のために行ってみた。フットマッサージ30分で180,000ドン(856円)。
あまり気持ちよくなかった。
18)タンロン遺跡
ベトナム王朝の王城跡。観光客も地元の人も来場者は少なかった。
19)チャンクオック寺
湖上の島にあるハノイでもっとも古い仏教寺院。たくさんの人が観光に来ていた。地元の参拝客も多かった。
(5)総括
1)歴史
ハノイには歴史的な施設が少なかった。ベトナム戦争でみんな破壊されてしまったのだろうか。
漢字を捨てたことにより過去の知見が失われたようだ。18世紀から欧米が富を略奪するために戦争していた。その後のベトナム戦争でも多くの知識人が死んで復興が遅れた。日本も第二次世界大戦で悪行していたようだが、博物館では、そんなに悪いようには展示されていなかった。
社会は過去の知見の積み重ねだから、ベトナムはようやく負の遺産を脱却しつつあるようだ。また仏教の影響が大きい社会のようだった。なぜフィリピンにはキリスト教が、インドネシアやマレーシアにはイスラム教が広まったのか興味が湧いてきた。
2)全体的な印象
建物の中のエアコンはフィリピンとかタイみたいにきつくなかった。イオンモールは大盛況だった。今は農村から都会に出てきている人の雇用が小売店のようだったが、ライフスタイルが、まさに変わっていく最中のようだった。
ベトナムブランドのものはまだ安かったけど、10年もしたら地下鉄が出来て高層ビルが立ち並び、街中にショッピングモールが出来てシンガポール、バンコク、ジャカルタのように大阪を上回る大都会になり、キレイな店の価格は日本より高くなるのでしょう。
交差点と信号がとても少ない。そもそも歩いて移動することを考慮せずに街が設計されている。みんなバイクか自動車で移動が前提のようだ。信号が少なくてバイクが多いので交通量の割には渋滞が少なかった。
しかし、信号のない横断歩道を渡るのはスリルがあった。信号がある交差点でもバイクはどんどん突っ込んでくる。単に信号無視しているのか、何かルールがあるのかよくわからない。しかもバイクはスマホ見ながら運転している人もいるので、横断歩道を渡るのは命がけであった。
超高層のオフィスビルはとても少ない。高層のマンションは、そこそこある。官庁街(新市街)には比較的大きなビルもあった。フランス風の建物で町並みを揃えている場所もあった。
海外ブランドの店には、掃除専用の人がいた。年配の人は痩せてるけど若い人はふっくらしている人が多い。ただ、高級ブランドが入っているデパートは賑わっていたものの、買っている人は少なかった。
子どもが中心の社会ようであった。子どもが少々騒いでも誰も気にしていない。子どもがとても楽しそうに生きていた。これまで行った台湾、タイ、フィリピンでもそんな感じであった。
日本は高齢者が住むには、心地いいかもしれないが、子どもには冷たい国のように感じる。
3)最後に
ベトナムは細長い国だけあって沢山の民族がいる。古代からは、それぞれが豊かな生活を送っていたようだ。多分、餓死者とか出ない社会だったのだろう。日本とかヨーロッパは度々飢饉で餓死者を出した社会だから危機感から新しい時代の流れに乗ったのかもしれない。
東南アジアは豊かな社会であったため資本主義という新しいシステムに乗り遅れたのかもしれない。今の日本は快適で過ごしやすい国であるが故に新しい時代IT革命の波に乗れなかった。危機感は、新しい時代を作り出すのに必要なものなのだろう。
これからは国というよりレイヤーで比較するのではなく、都市というレイヤーで比較する時代だと感じた。東京や大阪は都市間競争でアジアの国々の都市に勝てるだろうか。危機感を感じた旅行であった。
訪問日 2019年7月